テストの答案を見せに来た子どもに、
「すごいね!」って言った日のこと。
言った瞬間、
子どもの顔が、ほんの一瞬だけ曇ったように見えたんです。
ほんとに一瞬。
気のせいって言われたら、そうかもしれないくらいの。
でも、何点だったかより、
その一瞬のほうがずっと気になって。
……ほめたのに、なんで?
ほめているのに、失敗を怖がる子になっていた
そこから思い返してみたら、
心当たりがぽろぽろ出てきました。
100点の答案は見せに来るのに、
70点は見せに来ない。
ランドセルの奥から、くしゃくしゃになって出てくる。
新しい習い事をすすめると、
やる前から「どうせできないし」。
間違えた瞬間に泣く。
消しゴムで、紙に穴が開くほど消す。
わたし、けっこう「ほめて育てる」を
意識してきたほうなんです。
「すごいね」「上手だね」、
たぶん一日に何十回も言ってます。
なのに、失敗をこんなに怖がる子になってる。
ほめてきたはずなのに、なんで?
「自己肯定感」と「自分は大切」は、似ているようで別ものらしい
これ、わたしはずっと同じものだと思ってました。
でも、自己肯定感(自分を「できる」「価値がある」と高く評価する気持ち)と、
自己価値(できてもできなくても、自分はここにいていいっていう感覚)は別もの、
という考え方があるそうです。
自己肯定感のほうは、うまくいってる間は強い。
でも、失敗したときや恥ずかしい思いをしたときに、
守りに入りやすい。
自己価値のほうは、
失敗も恥ずかしさも「まあ、それも自分」って受け止められる。
そういう対比で語られることがあるんですね。
……これを知ったとき、
わたし、しばらく答案を見つめてました。
ほめ方が足りなかったんじゃない。
ほめが届いてた場所が、違ったのかも。
「できるあなたはすごい」は、
自己肯定感の側にどんどん積み上がる。
でも「できない日のあなた」については、
わたし、なんにも言ってなかった。
「あなたはすごい」が、鎧になってしまうとき
「すごい」って言われ続けると、
子どもは「すごい自分」を守るための鎧(よろい)を
着はじめるんだと思います。
鎧は重い。
しかも、自分では脱げない。
で、ぶつかったときのショックは、
鎧のぶんだけ大きくなる。

「あなたは素晴らしい」っていう言葉が、
ときに次の失望を大きくする準備になっちゃうことがある、
と言われています。
……これはわたしの勝手な解釈かもしれませんけど。
うちの子の場合、「すごい」って言われるたびに、
次も「すごい」でいなきゃいけない荷物が、
ひとつずつ増えてたんじゃないかな。
70点を隠したのは、点数が恥ずかしかったんじゃなくて。
「すごくない自分」を見せたくなかったんだと思う。
消しゴムのカスが山になるほど消してたのも、
間違いを残したくなかったから。
鎧を着せたのは、たぶん、わたしです。
……って書くと責めてるみたいですけど、そうじゃなくて。
気づけてよかった、のほうです。
直そうとしないで、見届ける
じゃあどうしてるか。
うちで変えたのは、やることより「やめること」のほうが多いです。
3つだけ。
ひとつめ。ペースを落とす。
子どもが落ち込んでるとき、
すぐに「大丈夫、次があるよ」って言わない。
心の中で10秒数える。
励ましって、子どもの気持ちを飛ばして
先に進めちゃうことがあるんですよね。
「まだ落ち込んでる途中なのに」って。
ふたつめ。好奇心を持つ。
「なんで泣くの」じゃなくて、
「何がいちばんいやだった?」って聞く。
「なぜ?」っていう聞き方は、
責められたように聞こえやすいと言われています。
大人でもそうですよね。
「なんでこうしたの?」って言われたら、身構える。
「何が」「どんなふうに」で聞くと、
子どもは答えやすいみたいです。
みっつめ。直そうとしない。
アドバイスを飲み込む。
「そっか、くやしかったんだね」で止める。
これがいちばん難しい。
口から出そうになるんですよ、
「次はここ気をつけようね」が。

この前、70点の答案を、
直さずに一緒に眺めた夜がありました。
「どこがいやだった?」って聞いたら、
「ここ、わかってたのに書きまちがえた」って。
「それはくやしいね」とだけ返して、
あとは黙ってました。
そしたら子ども、少ししてから、
自分で消しゴムを取りに行ったんです。
わたし、何も言ってないのに。
思春期の入り口で「自分の見方」が決まりやすい、と言われています
12〜13歳ごろに、
「自分は好かれる側か、面倒がられる側か」
「人に頼っていいのか、頼らないほうがいいのか」
みたいな自分の見方が、形になりやすいそうです。
きっかけは、友だちから返事が来なかった、
くらいの小さな出来事のこともあるんだとか。
もちろん、時期も中身も、
子どもによってぜんぜん違うと思います。
正直、これを聞いたときは焦りました。
うち、あと数年しかない。
でも、逆に言えば。
決まってしまうんじゃなくて、決まる前に、まだ時間がある。
小学生のうちに
「できない日の自分も、ここにいていい」って感覚が
少しでも積み重なってたら、
思春期に入ったとき、それが下支えになる。
そう思ったら、70点の夜も、
けっこう大事な夜だった気がしてきました。
まず、わたしが自分に言えるか
ここまで書いて、気づいたことがあって。
子どもの前に、わたし自身のことでした。
うまくいかなかった日の自分を、
わたしはどう見てるんだろう。
夕飯がレトルトだった日。
子どもに強く言っちゃった日。
そういう日のわたしに、
「それでも、ここにいていい」って言えてるか。
……たぶん、言えてないです。
「今日はダメだった」で終わらせてる。

自分で認めた部分だけが、やわらかくなる、
と言われています。
子どもに「できない日のあなたも大切」って伝えるより先に、
わたしの「できなかった日」を、わたしが認めること。
完璧に安定したママじゃなくていい。
「だいたい安心」くらいで。
そこからでいいんだと思います。
あの答案の話には、続きがあります。
きのう、また子どもが答案を持ってきました。
今度は「すごいね」の前に、10秒待ちました。
点数を見る前に、子どもの顔を見た。
そしたら、子どものほうから
「ここ、まちがえた」って指さしたんです。
隠さずに。
失敗を怖がらなくなった、とは言えません。
まだ隠す日もあります。
でも、見せてくる日が増えた。
それで十分だなって、今は思ってます。
みなさんのおうちでは、70点の日、どうしてますか?
今日は、10秒だけ待ってみようと思います。
※この記事は個人の体験と感想で、医療的・心理的な助言ではありません。気になることが続くときは、専門家にご相談くださいね。
