学校から出てくるわが子を見つけた瞬間、

こっちのスイッチが勝手に入る……ってこと、ありませんか?

今日はどうだったんだろう。

友だちとちゃんと話せたかな。

給食、食べられたかな。

そして車のドアが閉まった瞬間、

わたしは質問を並べてしまうんです。

「今日どうだった?」

「給食なに出た?」

「先生に怒られなかった?」

返ってくるのは、たいてい一言。

「別に」

……この二文字が、けっこう堪えてました。

こっちは心配して聞いてるのに。

なんで話してくれないの、って。

でも去年の秋ごろから、

わたしはあることをひとつだけやめました。

それで全部が解決したわけじゃないですよ。

ただ、うちでは「別に」の回数が、

ずいぶん減りました。

「別に」って、話したくないって意味じゃないのかも

玄関で靴を脱ぐ子どもと、少し離れて見ている母親の水彩イラスト

うちだけかなと思ってたんですけど、

まわりのお母さんに聞いてみたら、

だいたい同じでした。

「別に」「ふつう」「わすれた」。

玄関で靴を脱ぎながら、この三択で終了。

聞き方が悪いのかなと思って、

いろいろ試したんです。

「今日の一番のニュースは?」とか、

「誰と遊んだ?」とか。

答えやすい形にすれば話してくれるんじゃないか、って。

結果は、ほぼ変わらず。

質問の形を変えても「別に」は「別に」でした。

そんなとき、

ふと自分に置き換えてみたんです。

わたしだって、外の用事をひととおり終えて、

家にたどり着いた直後に「今日どうだった?」って聞かれたら、

たぶん「ふつう」って答えます。

話したくないわけじゃない。

ただ、まだ口が動く状態になってないだけ。

もしかしたら、子どもも同じなのかもしれない。

学校では、ずっと“よそいき”でいるらしい

教室で少し気を張った表情で座っている子どもの水彩イラスト

子どもって、学校で思ってる以上に、

がんばってるみたいなんです。

授業を受けてるだけじゃなくて、

その場の空気を読んで、顔をつくって、

友だちの輪のなかでの自分の位置を、

ずっと測っている。

そういう目に見えない努力を、

一日じゅう続けていると言われています。

わたしはそれを、

勝手に「鎧」って呼ぶことにしました。

鎧。

言葉にしてみたら、急に腑に落ちたんです。

だって、親の目に入るのって、

その努力の結果の部分だけなんですよね。

テストの点数とか、連絡帳の一行とか、

「学校では落ち着いてますよ」っていう先生の言葉とか。

そういえば、うちの子は学校では、

わりと「いい子」らしいです。

家ではまったくそんなことないのに。

……つまり、鎧を着てる時間のほうを、

わたしはずっと見てなかった。

鎧を脱ぐのは、校門を出た瞬間じゃなかった

ここからが、わたしには一番の発見でした。

学校モード(気を張ってる状態)から家モードへの切り替えって、

校舎を出た瞬間に自動で起きるわけじゃない、

と言われているみたいなんです。

切り替わるのは、

体のほうが「もう安全だ」と感じられたとき。

建物を出たかどうかとは、

別のタイミングでやってくるらしい。

それを知って、

迎えの車のなかを思い出しました。

あそこ、まだ切り替えの途中だったんだ。

鎧を脱ぎかけて、まだ半分着てる状態。

そこにわたしが、

質問を三つも四つも投げ込んでいた。

そりゃ「別に」って言うよなあ、と思いました。

だって答えるためには、

いったん鎧を着直さないといけないんですから。

じゃあ、待てばいいのか。

……と思ったんですけど、

次の疑問がすぐ来ました。

待っても話さない日は、どうしたらいいの?

わたしがやめた、たったひとつのこと

夕飯の支度をする母親に、ふいに話しかける子どもの水彩イラスト

先に白状しておきます。

わたしはずっと、

「心配だから聞いてる」と思ってました。

でもよく考えたら、たぶんそれだけじゃない。

「今日も大丈夫だった」って、

わたしのほうが安心したかったんだと思います。

子どものためというより、自分のため。

認めるのはちょっときまりが悪いんですけど。

それに気づいてから、

やめたことがひとつだけあります。

帰ってきてから最初の十五分は、こっちから質問しない。

それだけです。

おやつと飲み物を出して、

あとはわたしは自分のことをしてる。

洗濯物をたたんだり、

夕飯の下ごしらえを始めたり。

わざと背中を向けてる時間をつくる。

「別に」と言われたら、そのまま置いておく。

掘らない。

十五分っていうのはあくまで目安で、

きっちり計ってるわけじゃないです。

おやつを食べ終わるくらい、っていう感覚。

それで何が変わったかというと、

話し出すタイミングがずれました。

夕飯の支度をしてるとき。

お風呂から上がってきたとき。

寝る前に電気を消したあと。

まったく脈絡のないところで、

突然「そういえばさあ」が始まるようになったんです。

もちろん毎回うまくいくわけじゃありません。

何も言わずに一日が終わる日もあります。

正直に書くと──

話してくれた日より、話さなかった日のほうを、

わたしはいまだに数えてる気がします。

話し方は、口じゃなくてもいい

途中でもうひとつ気づいたことがあって。

面と向かって話すのが得意な子と、

そうじゃない子がいるんですよね。

うちも上の子と下の子で全然ちがいます。

下の子は聞かなくても勝手にしゃべり続けるタイプ。

上の子は口が重い。

でもその上の子が、あるとき、

短いメッセージを送ってきたことがありました。

口では言えないことが、

文字だと言えるらしいんです。

だから、伝え方の入口は、

いくつあってもいいんだと思います。

話す、書く、メッセージを送る、置き手紙をする。

どれでもいい。

そのうえで、

わたしが先に置いておくようにしてる言葉があります。

「口をはさまずに最後まで聞くから、話したくなったら言ってね」

これを言っておくと、子どものほうから、

「ちょっと聞いてほしいんだけど、

途中で口出さないでね」って、

前置きしてくれることがあります。

前置きがあると、こっちも身構えずに聞ける。

……途中で口を出さないの、

思ったより難しいんですけどね。

あと、これは念のため。

ふさぎこんだ様子が何日も続くとか、

食欲や眠りに目に見える変化があるときは、

待つより先に担任の先生やかかりつけの専門家に、

相談したほうが早いと思います。

待つのは、あくまで元気な日の話です。

おやつだけ出して、黙ってみる

いまでも、車のドアが閉まると質問したくなります。

あの衝動は消えません。

でも一回だけ、飲み込んでみる。

そうすると、たまに向こうから話しかけてきます。

たいてい、どうでもいい話です。

給食のゼリーの味がどうとか、

誰かが牛乳をこぼしたとか。

でも、どうでもいい話をしてくれるってことは、

鎧を脱いだあとってことなんだろうな、と思うんです。

今日は、おやつだけ出して黙ってみます。

みなさんのおうちでは、

帰ってきた子に、最初になんて声をかけてますか?

※この記事は個人の体験と感想で、医療的な助言ではありません。心配なことは専門家にご相談ください。